Keiichiro Yamada

帰れなくならない家

帰れなくならない家

kaerenaku-naranai_01 (1/8)

作品説明

【まえがき】

好きだった人からInstagramでブロックされたことに応募2日前に気づいたこと。前の学校で一番仲良かった親友と電話で仲違いしてから連絡を取れなくなったこと。尊敬していた先輩から電話越しで罵倒されたこと。去年、仲良かった後輩グループと最近、連絡を取りづらいこと。実家が生まれた場所から引っ越してしまったこと。もしかしたら、もうそれを実家と感じられないこと。実家の周りで会いたい人も居ないから、今後、実家の周りを訪れる機会が減りそうなこと。

人は人と関わることを通じて、帰りたい場所や時間がどんどん増えていく生き物だと思う。でも、それはその場所や時間が大事なわけではなくて、その場で紡いだ人と人との繋がりに価値を感じていて、その繋がりをもう一度、感じたいからであって、決して、その場所や時間に価値があるわけではないと思っていた。

でも、人と人の繋がりなんて本当に本当に脆いものだ。恋人じゃないからとか、告白しなかったからとかで関係が一生続くわけはないし、友達だろうが、家族だろうが、会えなく話せない時間は、オンラインで連絡を取ろうと思えば無限に取れる分、容赦なく繋がりを解いていくものだと思う。

【コンセプト】

これまで私は、建築とは「誰か」に会うための口実であり、人がいなくなれば価値を失う、所詮は「箱」でしかないと考えていた。

しかし、冒頭で述べたように、拠り所になるはずの「人との繋がり」がこれほどまでに移ろいやすく、脆いものであるならば、私たちは一体どこに帰れば良いのか。

そこで、私は発想を転換する。 特定の「誰か」がいる・いないに関わらず、かつてそこにあった「繋がりそのもの」の記憶を静かに呼び起こしてくれる空間。それこそが、時を経ても人が「帰りたい」と感じる建築の新しい姿ではないか。 本提案は、この問いから出発する。

【建築計画】

この「繋がりの記憶を呼び起こす器」としての建築を実現するために、具体的な二つの建築手法を提案する。

1. 悠久の時間を繋ぐ、屋上庭園の樹木葬

この家の屋上は、歴代の住人を弔うための樹木葬が行える庭園である。この庭園は敷地東側の高さ3.5mの道路と接続し、地域に開かれた公園として機能する。

これは特定の個人のためだけの墓地ではない。家主が代替わりしていくことで半永久的に維持され、場所の記憶が積層していく「時間の庭」である。子どもたちの遊び場や地域の憩いの場となることで、家を離れた人も「かつての自宅近辺」に自然と訪れる口実が生まれる。そこは、失われた誰かとの思い出だけでなく、その場所で紡がれてきた悠久の繋がりそのものに触れられる空間となる。

2. 内省を促す、天窓と求心的な空間構成

来訪者の追憶と、現在の住人の生活が、互いに干渉し合うべきではない。 そこでこの建築は、生活の痕跡を内部にのみ蓄積させ、外部に対しては記憶を投影するための静かなキャンバスとして振る舞うよう設計されている。

リビングを家の中心に配置し、個室群がそれを囲む求心的な構成は、住人の意識を内側へと向ける。日々の営みや記憶は、この閉じた内部空間にのみ刻み込まれていく。壁面の窓を完全に排したことで、外部からは室内の気配を一切感じさせない。生活の光や人の影が外に漏れ出すことはなく、建物は記憶の塊のように、ただ静かに佇むのである。

これにより、かつてこの場所に関わった人々は、現在の住人の生活というノイズに邪魔されることなく、建物の無垢な外壁に自らの記憶だけを純粋に映し出すことができる。天窓から落ちる光は、内部では日々の営みを記憶として刻み込み、固く閉ざされた外壁は、訪れる者の内省を促す。この建築は、住人には「内」で記憶を紡がせ、来訪者には「外」で記憶と対話させる装置なのである。

人との繋がりが時間と共に解けてしまっても、帰るべき「場所」の記憶さえ失われなければ、我々は生きていけるのかもしれない。

この建築を、そのための拠り所とする。 人が去り、街並みが変わっても、その存在と記憶が風化しない家。だからこそ、ここは「帰れなくならない家」なのである。